健康・医療 生活

2013年10月31日 at 3:19 AM

本田絋輝君「負けてタマルカ!!」 母親も子宮頸がんに

こうき君を失った両親は今も料理屋を営む。
巻きずしがおススメ。

店には、母親が一番大好きな絵 三匹の鯉。(こうき君が描いた)

こうき00

 

 



◆こうき君の闘病

7歳(2004年)
著しい吐き気と頭痛で入院。
髄芽腫。5cmの大きさ
13時間の手術。
手術後10/19。こうき君が描いた絵が「悪魔」。削られた頭など変わってしまった自分を書いている。
手には武器がいっぱい。

 

 
その後2年間、抗がん剤や細胞移植を行い退院。
ゲームや漫画が好きな男の子。ニンテンドーDS。
指紋が付かないようにと軍手をはめて大切に扱う。

 

 

 

退院後も小学校ではなく院内学校に通う。
竹下長治先生。先生に勧められて絵を描くようになり、そして絵が全国的に有名になる。

カメラはすごい嫌いで、ついていくと撮らないでほしいと逃げて回る。
こんな元気な姿が永遠に続けばいいとおもった。
2006年。右の目がおかしいと異変に気付いたお母さんが病院に連れていくと再発確認。
退院からわずか10か月。
父親が泣くなと励ます。

 

 

 

闘病生活。抗がん剤が一番つらい。体の痛みと吐き気
放射線治療も始まり体の免疫力が下がる。無菌室へ。母親とおばあちゃんが交代制で看病。

ばあちゃんには気持ちをぶつけられず、ママにぶつけてしまう

 

 

 

なかなか筆を持とうとしないところに院内学校の竹下先生がやってきて、絵を勧める。
絵の中に「ぐしゃぐしゃ」などの擬音表記。苦しんでいる様がみてとれる。

負けてタマルカ!

こうき

 

両親はセカンドオピニオンを探しに。打つ手はない。長くはないと返される日々。
合意ラインは余命半年。

クリスマス。おばあちゃんとお母さん・お父さん宛てにメッセージを書く。

こうき「本当の気持ちは書けない。そうやって素直になれない心が作られているんだ」

2006/12/25 退院。家族と友達と一緒に過ごす。今日はゲームざんまい。

先日書いたメッセージにはこうあった。「いつもありがとう。できるだけ長生きしてね!」

 

 

 

12歳になる。家で過ごす。好んで描いたのは炎のドラゴン。龍みたいに強くなりたい。

台風の日にママをかく。ぐるぐるとした円。怖い角もあるが目から涙。優しい羽根。
こうき02_まま

2007/8/21。12歳誕生日。小脳の中にできた癌は危険なレベルまで大きくなっていた。

自分を描く。青い目。天にむけて差し出す両腕。神様に助けてという心が表われている。
言葉もうまく話せなくなり、ときどき痙攣し、うまく歩けない

こうき「最期にはハッピーエンドみたいにおわるじゃん。その後どうなるのかなって・・」

 

 

 

再び入院。その日の朝。

こうき「おはようママ。あいたかった。本当逃げたいよ」

半年で体重が10kg落ちる。もう経口摂取は不可能。点滴で元気になったらおうちに帰ろうと母親が励ます。

こうき君が絵をかきたいという。先生付き添いでドラゴンを書く。目と心臓だけ赤い色。
こうき君が描いた30枚目になる絵。

余命は半年だったが1年になる。
家族全員で看病。昼はママ。夜はパパが。

こうき「拙者。愛してるよ。ママ、この目を忘れないでほしい」

 

 

 

2007年クリスマス。親友の宮澤凛太郎君たちがサンタクロースに扮してお見舞いに。
1年前にゲームをして遊んだ時のこうきの姿はない。
友達も直視できない。

こうきは友達が帰る姿にいつまでも手を振り続けた。

2007/12/28 呼吸できなくなる。
母親はこうきを起こして抱きかかえる。

父親は寄り添うしかなかった。

3:15永眠。

おうちに帰ろうね・・・

 

 

 

◆今度は母親に癌

2008/2/24
母親は家に引きこもりがちになる。

母「こうきはこの世になんで生まれてきたのか、」

 

 

突然ママが腰痛を訴えるようになる。

2009年夏。病院へ。
子宮頸がんと診断。
母「びっくりするくらい平常心。お父さんは長生きしてね」

1週間後にこうき君の絵を握りながら手術へ

しかし癌は予想以上に進行しており手術では切り取れなかった。ステージ4。末期がん。

父親は正直に伝え、抗がん剤の治療に励む。
母「自分の身になって実感する。こうきは本当にすごかった。生きるって大変なこと」

 

こうき君ががんばったように母親も懸命に耐える。
2か月後病院で出来る治療はすべて出尽くし退院する。

母「こうきとあるいたように、次のさくらを見たい」

 

 

 

◆母親の奮闘

お店にイラストレーター、陶芸家、画廊経営者。料理屋に一同に集まってもらった。

以前から貰っていた展覧会のオファーを受けたのだ。
鹿児島市立美術館で、こうき君の個人展覧会へ。

2010年には沖縄でも展覧会。そののち北海道でも。来場者3万人を超える。
教科書「みんなのどうとく」に、こうき君の本とストーリーが載る。
第一回の授業に招かれる。

母親「こうきには明日が来なかった。その明日が皆さんの今日。明日を見られなかった人々の分まで
生きてください」

こうき「拙者はみんなの夢を守るために生きたんだ」

 

 

 

2013年。ママが店に復帰。一緒にいてくれるとやはり気持ちが違うと父親。

友達だった凛太郎君も今ではこうき君のお父さんを超える身長に。

こうき君が生きていれば18歳だから。

2013/7/10 KTS鹿児島テレビ負ケテタマルカ!

 

 

 

◆父親

こうき君が入院していた病院を一人で訪れる。

今もここで誰かが闘っている。

父親「なんどもこの窓から飛び降りようと思った。出来なかった。」

 

 

 

絶望のあの日をみんなで生き抜いた。だから今では誇らしく思う。

ママとボクと伸作と。
三匹のこいの絵を眺める。
母親、2013年春を迎える。桜並木を父親と二人であるく。

母親「笑って生きたい」

何気ない毎日はキラキラ輝いている。

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