芸能

2015年5月31日 at 1:54 PM

イギリス王室スキャンダル一覧

2015/5/31 サンデースクランブル

 

 



・チャールズ王子とカミラ夫人(コーンウォール公爵夫人)

チャールズは独身の頃から長くカミラと交際していましたが、カミラが軍人の娘であったことから、階級制度の根強い英国においては王室に嫁ぐことはできませんでした。
チャールズが軍に入り、遠い任地に赴いている間にカミラは別の男性と結婚した。王太子が独身のまま歳をとり、王室は慌てて花嫁探しをしました。最初に白羽の矢がたったのが、スペンサー伯爵家令嬢であるダイアナの実姉です。

この時、姉に付いて行ったダイアナは初めてチャールズと出会っています。

しかしダイアナの姉は別の人と結婚したことから王室は急遽、妹のダイアナを、お妃候補として立てます。

結婚してもチャールズはカミラへの想いは変わらず交際は続きます。結婚前からダイアナはカミラのことを知っていましたがまさか結婚後も関係があるとは疑いもしなかったのです。

チャールズ直筆のカミラ宛の手紙、カミラからの誕生日プレゼントのお礼状を見つけ、事実を知ったダイアナは大きく失望し、側近の男性と恋をしました。この人は宮殿の側近職を辞めたあと、ダイアナの暴露本を出しています。その後、事故で死亡しています。

ダイアナはその後心の隙間を埋めるためいくつか恋愛をしますが、チャールズの妻ではなく、ふたりの王子の母として
王室にとどまる決心をしました。

しかし、チャールズとカミラの関係は変わらず、チャールズもダイアナよりカミラとの結婚を望みました。
やがて二人の王子に会うために「プリンセス」の称号と宮殿に住むことなど、いくつかの条件を提示して、ダイアナは離婚を承諾しました。

やがてダイアナはアラブ人男性(イスラム教徒)・ドディと恋に落ちます。父・アルファイドはエジプト出身の大富豪で
英国の老舗高級デパートのハロッズやホテル・ザ・リッツカールトンを買収しています。
そのため多くの英国人からは快く思われていませんでした。そこで二人はパリに住みます。

そして、ダイアナの悲劇が起こるのです。

チャールズはダイアナが亡くなったおかげでカミラと再婚できました。息子たちは父親を信じるもカミラのことを快くは思いませんでした。ちなみにダイアナの王族称号は「ハー・ロイヤル・ハーネス・プリンセス・オブ・ウエールズ」ですが、
カミラは「王太子夫人」の肩書きしか持っていません。

 

 

・チャールズ皇子のもう一人の愛人カンガ

ダイアナ元妃と結婚してからもカミラと肉体関係を持ち続けたチャールズ皇太子。1992年の別居後、ダイアナ元妃と皇太子はお互いの秘密を暴露しまくっていましたが、その中で最もスキャンダラスだったのが、カミラへの電話盗聴流出でした。

「きみのタンポンになりたい」「きみのパンツの中で暮らしたい」という情熱的というより気持ち悪い内容のラブコールに、世界中がドン引き。皇太子は王にはなれないだろうという意見まで飛び出しました。

皇太子は今も昔 もカミラ一筋だと言われていますが、実はダイアナ妃と結婚する前に、カミラよりも心を寄せていた愛人がいたことがあります。 オーストラリアの裕福な家庭で育ち、皇太子の側近である男爵と結婚したデール・カンガ・トライオンです。

70年代に夫公認で皇太子の「もう一人の」愛人となった彼女は、一時期、皇太子から「自分を最も理解してくれる人」だと絶大的な信頼を寄せられていました。皇太子が結婚した後は、ダイ アナ妃にもうまく取り入り、仲良くしていたといいます。ダイアナ妃は彼女のファッションブランド「カンガ」の服を着ることもあり、一時期はブランドオーナーと して手広くビジネスをしていました。

しかし、持病を抱えていた彼女は鎮痛剤依存になり、アルコール依存も発症。心を寄せていた皇太子もこの頃から離れていきました。それどころか、彼女の存在などなかったように振る舞い始めたました。依存症治療を受けていた彼女は突発的に窓から飛び降り、車椅子生活に。本人は「誰かに突き落とされた」と主張しましたが、夫はそんな彼女に離婚を突き付け、翌年、彼女はインドで発症したとされる敗血症で死亡。ダイ アナ元妃が亡くなった3カ月後に、ひっそりと息を引き取りました。

 

 

・ダイアナ死の陰謀

チャールズ皇太子と、交際1年で結婚したダイアナ元妃。プリンセスという名にぴったりの美貌にスタイル、透き通るような白い肌の持ち主で、頬をピンク色に染めはにかむ笑顔は世界中でダイアナ旋風を巻き起こしました。

しかし、皇子がカミラとの交際をやめず自分に興味を持ってくれないことから心を病むようになり、自傷行為、過食嘔吐を発症。毎晩嘔吐後、ベッドに入ってく るダイアナ元妃を皇太子は避けるようになり、ダイアナ元妃も浮気をするようになります。そして別居後、お互いの秘密を暴露しまくるなど醜い 争いを繰り広げます。

そんな彼女の最大のスキャンダルは、エジプト系のドディ・アルファイドとの交際。イギリスの国王の母がイスラム教徒だということは、あってはならない大スキャンダルでした。

1997/8/31、ドディと共に乗った車がパパラッチに追跡された末、事故を起こし死亡した後にも、「ダイアナ元妃は妊娠していた」というウワサが流れ、 悪どい武器商人もいるようなアルファイド一族との子どもが、将来の王と異父兄弟関係にあってはならないと抹殺したのではという暗殺説が流れます。最愛の息子ドディを失ったモハメドは、「事故は英米の情報機関員ら5人よる陰謀だった」と主張。パリの捜査当局に再捜査を要請したが、却下されています。

2003/10には、ダイアナ妃が亡くなる10カ月前に執事宛てに書いたという、「私を交通事故に見せかけて殺す計画がある」という手紙が公開され、本物かどうかが大きな話題となりました。しかし決め手となるものはなく、時間の流れと共にうやむやにされてしまっている。

 

 

・お騒がせヘンリー王子

謹厳実直な兄ウィリアムとは対照的に、醜聞が絶えなかったお騒がせ王子。11歳頃から酒や煙草に手を出し、14歳でアルコール依存症に。マリファナ騒動を起こし、麻薬中毒患者のセミナーに参加したこともあります。

2005/1、21歳のとき、友人たちとのパーティーでナチスの制服のような服を着て物議を醸します。

また陸軍士官学校の訓練を終えた直後にもストリップクラブに繰り出し、ストリッパーとの写真を撮られ、「ダーティー・ハリー」と揶揄されます。

 

 

2012/8にはラスベガスの最高級ホテルのスイートで20人の女性たちと宴会を行い無防備な全裸姿を撮られます。その中には裸の女性に後ろから抱きつくという際どい写真もありました。しかしその翌月から、アフガニスタンでの20週間に及ぶ軍務に就き、勤勉さを見せます。

チャリティーイベントも多く開催しており、イギリス国民からすると、憎めないヤンチャ皇子という存在です。

 

2012/9/15 サイゾーウーマン ヘンリー王子の全裸流出は甘い? チャールズ皇太子のもう一人の愛人ら英国王室の闇

 

 

・イケメン アンドリュー王子 少女買春

2014/12/29に米フロリダ地裁に出された訴状。訴状の内容は、訴えた女性が未成年だった1999~2002年に、アメリカ人富豪ジェフリー・エプスタイン氏に複数の男性との性交渉を強要されたというもの。その男性のなかにアンドリュー王子の名前がありました。

エプスタインは1990年代に株で巨額の富を得た投資家で、世界中のセレブと交流があり、アンドリュー王子とも友人関係にあります。2008年に少女を買春したとして実刑判決を受けますが、量刑は1年6か月の禁固と軽く、司法取引でセレブの名前を出したのではないかといわれた。ただ、これは上記の訴えとは別のものです。

アンドリュー王子はハンサムで若いころから浮き名も流しています。1986年に結婚し2人の娘がいますが、1996年に離婚しています。

英紙のインタビューによると、女性が最初に関係を持ったのは2001年の17歳の時で、エプスタインらとロンドンに行ったときに王子に会ったと言います。女性は帰国後、「私は王子へのギフトだったと悟った」と語ります。その際エプスタインからは1万5000ドル(約180万円)を受け取っています。2度目は同じ年にマ ンハッタンのエプスタインの豪邸、3度目はカリブ海の島だったといいます。

 

 

・リチャード三世は実は勇敢な王だった

リチャード三世は、シェークスピアの劇歴史で、散々な悪王として描かれています。

 

・当時の王と弟をロンドン塔に幽閉し殺害

・反対派を残虐な手法で殺戮

・権力者の娘と結婚するために、妻を毒殺

 

 

2012/8、このリチャード王の遺骨が元修道院があった駐車場から発見されます。

 

劇歴史ではボズワースの戦いで

「馬をくれ!代わりにこの国をやるぞ!」と命乞いする臆病な姿で描かれてましたが、

 

その遺骨には11箇所の斬られた跡があり、背中にも矢が刺さり、先頭に立って自ら斧を振るい勇敢に戦った跡が見られました。

リチャード三世

リチャード三世は、薔薇戦争で争ったランカスター家とヨーク家のうち、ヨーク家に属する王です。ランカスター家のヘンリー6世が赤ん坊で即位し、母方の祖 父(シャルル6世)から引き継いだと言われる遺伝性の精神的な病のために、統治能力を失ったことから、同じプランタジネット朝の血をひき、本来はより正統 に近かったヨーク公が一連の内戦の結果権力を握り王位につきました。これがエドワード4世であり、リチャードの兄です。
エドワード4世は明朗闊達な性格でしたが、同時に女好きであり、やや軽薄な性格だったと言われ、リチャードはそんな兄を助け、きわめて有能な王族(グロス ター公)として人望を集めていたようです。政治的にも軍事的にも、その能力は高かったと言われています。やがてエドワード4世が死去すると。その子であっ た幼い兄弟が行方不明となり、リチャードが王位を継ぎます。これがリチャード3世ですね。兄の二人の子は、リチャードが謀殺したという説もあります。ま た、生まれつき、脊椎の湾曲があり、醜い顔貌だったという説と、そうでない説もあるようです。
リチャードの君臨した期間は短く、ランカスター家の最後の一人であるヘンリー・オブ・テュダー(ヘンリー6世の父親違いの弟の子。つまり男系では一切ラン カスターの血も、プランタジネットの血も引いていません・・)がリチャードを戦場で打ち破り戦死させ、イギリスの王位を手に入れま、ヘンリー7世として即位します。これがエリザベス1世まで続くテュダー朝となります。
シェークスピアの戯曲は、そのテュダー朝全盛の時代に書かれたものですので、リチャードを暗い陰謀家として描いています。

 

 

 

こうしてシェークスピアの中では、劣等感の塊からダークヒーローとなった軌跡が語られていますが、イギリス人はミステリーやブラックギャンブル、ゴシップが好きな国民性なので、ちょうどその需要にあった描かれ方をされたことが伺えます。

 

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