健康・医療

2015年6月19日 at 10:58 PM

千葉県 石郷岡病院|「保護室」の精神病患者虐待の日常。それも元旦から

被害者の父親「息子は息を引き取る前、大粒の涙だけはボロボロ流していました。悔しかったと思う。ヤメローッ!という感じだったと思う。」

 

 

Aさんは精神病で保護室に入院していた。

密室虐待「大藤園」の、柳信介が内部告発映像を見せられて硬直する様がおもしろい

 

 



◆2012/1/1の監視カメラに映っていた映像

2012/1/1 16 時頃 2人の看護師が保護室(身体を拘束する可能性のある部屋。自傷行為や他人を傷つけるのを防ぐのが目的。ちなみにAさんは拘束具は付けられていなかった)に入ってきて、Aさんを床に寝かせて、おむつ交換をするかと思いきや、もう2人入ってきて食事を与えた。その後2人は出て行く。

残った二人のうちの1人がおむつ交換の歳、膝でAさんを押さえつける。苦しかったのか体を振って抵抗しようとすると、そのときにAさんの手足がもう1人の看護師に当たったのか、キレてAさんの頭を右足で2回踏みつけた。左足でも踏みつけている。

 

左足でふくらはぎを踏みつけて二人がかりで抵抗するAさんにズボンを掃かせ、動かなくなったAさんに見向きもせず枕を放り投げて出て行った。

石郷岡

二人の看護士は、准看護師の菅原巧( 62 )と元准看護師の田中清(66)

後になって、県警の調べに対して菅原容疑者は黙秘、田中容疑者は「 業務上の必要な行為だった 」などと供述している。

 

 

1/2に看護師が保護室に4回入室。

 

2日後の2015/1/3に、別の病院に転院したら、頚椎を骨折しており首から下が動かなくなっていた。

そして自発呼吸が出来なくなり、2014/4/28 Aさんは呼吸不全(直接的な病名は肺炎)で36歳の人生を閉じた。

 

 

上述の虐待を受けた2日後の写真

アザ

 

 

患者の様子を見るための監視カメラだったので看護師は映像が外に出ることを想定せずに暴行を日常的にしていた。しかし病院側も確認する前に患者の家族と一緒に監視カメラを見てしまったので、揉み潰す事ができなかった

 

暴れたら押さえつけて鎮静剤は普通だが、Aさんは映像からするとまるで暴れていない。押さえつけられたとき以外の抵抗はしていない。

 

 

◆怪しいと思ったのは

転院した際に、Aさんの顔にひどいアザが出来ていた。

 

父親「娘と家内がおかしいなと病院に言うと、監視カメラの映像を確認しましょうということになった。

見ていたら、娘が気付いておかしいな?と。

院長は暴行を否定した。

顔は押しただけ。足は置いたと。あれは置いただけで看護の一貫ですと答えた。

 

アザは、息子(A)が顔を擦り付ける自傷行為をしたことで出来た傷だと主張した。」

 

警察に被害届を出し、病院に損害賠償をした。

 

 

病院は、「事実関係はコメント出来ません。ですが入院中に起きた出来事は道義的な責任を感じます」

 

 

◆クラス1の人気者だったAさんが、大学時代にうつ病に

高校時代はスポーツ万能でクラスの中心人物だったAさん。

 

大学時代(2001年)に落ち込みうつになった。

 

 

最初の病院で処方された薬で調子を崩して、今の状態となった

精神薬は処方量や飲み合わせが悪いと、無気力・錯乱・自傷行為に繋がる。

 

 

2011/9に石郷岡病院に入院。

 

父親「一人息子を無くすこんな経験はしたくない。家内は毎日3回ごめんなさいごめんなさいごめんなさいと息子に詫びている。息子に敵をとったよ!と報告したい」

 

 

2012/1/1 監視カメラの虐待

 

2012/2 訴状提出

2012/7 訴状受理

 

2015/7/8 逮捕

父親「大きな山を越えた。3年半という長い期間だった。真実を伝えて欲しい」

 

 

◆パキシルの脅威

2014/7/8 Let’s growing a favorite perennial plant! その陽は沈まない~精神医療の犯罪 3

そもそもケイジさんの場合、始まりは「パキシル」である。因果関係の立証は難しいが、おそらくその副作用である「賦活作用」によって、攻撃性が増し、他者への暴力となってしまった。それが統合失調症診断の決め手というわけだ。

そして、リスパダールの服用で、即ジストニアの症状が出てきた。これだけを見ても、ケイジさんに薬剤過敏があると、「医師なら」気づいてしかるべきである。

にもかかわらず、薬を入れ続け、副作用で不穏になると、さらに、これでもかと抗精神病薬を投与し続けた。統合失調症という診断だからできる処方。

のちにケイジさんは「広汎性発達障害」と言われたが、発達障害の人には薬剤過敏の人が多く、最初のリスパダール投与後の反応を見ても、その可能性は否定できない。
 

お父さんがぽつりと言った。

「36年間生きてきて、その3分の1は、精神科に関わる人生だった……。小さい頃は私とよくキャッチボールをしました。そう、あの子は、運動神経がよかったんですよ」

otouto

(テニスサークルの合宿。どこにでもいる健康で、活動的な青年だった)

 

統合失調症として治療を受け、その副作用でジストニアになり、首が曲がってしまった患者に対して、彼らはどんな感情を抱いていたのだろう。日々の「看護」のなかで、彼らは何を思い、職務をどう受け止めていたのだろう。

 

12月初旬に入院をして、ケイジさんは、年末にはかなり回復してきたように見えた。会話も普通、身の回りのこともきちんとできる。差し入れた本も読んでいる――。そろそろ退院できるかもしれないと家族が考えていた翌年の1月4日のことだ。

両親が病院に見舞いにいくと、ケイジさんは肢体拘束をされ、目の焦点も合わず、うつろな表情で、天井の一点を見つめているだけだった。会話もできない状態である。

病院に理由を聞くと、暴れて、壁に穴をあけた。自殺をしようとしたので、拘束したとのこと。そして、壊れた壁の修理代金として30万円支払うように要求された。※(両親は実際に破損箇所を見てはいません)

病院側の説明も釈然としないまま、家族は目の前のケイジさんの変わりようにおろおろするばかり。結局、言われるがまま、修理代を支払った。そして、「また自殺しようとするのを防ぐために拘束は必要だ」と言われれば、黙って従うしかなかった。

後でわかったことだが、この拘束のとき、ケイジさんに投与されていた薬は以下の通りである。

プロピタン 抗精神病薬

メレリル 抗精神病薬

ヒルナミン 抗精神病薬

ジプレキサ 抗精神病薬

ベゲタミンB 睡眠薬

セロクエル 抗精神病薬

ウィンタミン 抗精神病薬

レボトミン 抗精神病薬

ルーラン 抗精神病薬

グラマリール 抗パ剤

セルシン ベンゾ系抗不安薬

ベンザリン ベンゾ系睡眠薬

ユーロジン ベンゾ系睡眠薬

ダルメート ベンゾ睡眠薬

レンドルミン ベンゾ系抗不安薬

アキネトン 抗パ剤

セドリーナ 抗パ剤

こうした薬を入院中の5ヶ月間(拘束は約3週間続いた)とっかえひっかえ、抗精神病薬は常に2~3種類は投与され続けたのだ。

不安になった両親が医師に減薬を願い出ても、医師からは、「これが普通だ。嫌なら出て行ってください」と言われるだけだった。

そもそもケイジさんには薬剤過敏があった。最初のリスパダール数ミリで、すでに首が前にうなだれる「ジストニア」の症状が出ていたのである。医師はそれを 完全に見逃して、薬の中止より、「水で排毒すればいい」などと適当な対応で服薬を続けさせた。そして入院中、実際ケイジさんがどのような行為を行ったのか 不明だが、病院側の説明によれば「暴力」と「自害行為」ということで、これだけの薬を、からだを縛り付けたまま投与し続けたのだ。

拘束は3週間続き、その頃には、ケイジさんの首は完全に曲がってしまっていた。

2月中ごろ、医師に「首が曲がってしまったが、薬のせいでしょうか」と家族が問うと、医師は「そうですね」と答えたという。(しかし、その後、医師は、薬 の影響を否定する見解を述べ、さらにその後、家族が「医薬品副作用救済制度」を申告した際、医師としての意見欄には、「薬剤性パーキンソニズム」として、 認めることになった。結局、救済制度は認められなかったのだが)。

その後、ケイジさんは、ジストニアの治療のため、5月に千葉大医学部附属病院(整形外科)へ転院した。市原鶴岡病院を退院するときには、ジストニアは、顎が胸につくほどになり、歩くのもかなりゆっくりしたペース。表情もさえなかった。

千葉大病院のジストニア治療では、ボトックス注射、そして、抗パ剤のアーテン(3錠)が処方された。

しかし、状態は芳しくない。

ケイジさんは突然バックで歩きだしたり、体がこちこちになったようなロボット歩きになってしまったり。結局、歩行不全、トイレに間に合わない(失禁)、見 識障害、話にまとまりがない……そんな状態に陥った。医師の見解は「統合失調症と判断するが、薬に敏感なため現在は適切な治療薬がない」とのことで、ケイ ジさんは11月、退院となった。

自宅療養を続けるなかで、「アーテンがいけないのではないか」と考えた家族が、自己判断でアーテンを断薬した。すると、徐々に、こちこちだった体の柔軟性が回復し、食事も一人でとれるようになり、見識障害も少なくなっていったのだ。

アーテン=抗パーキンソン病薬――抗精神病薬の副作用(錐体外路症状等)止めとしてセットのように、気軽に処方されるが、じつは、重い副作用がある薬であ る。たとえばアーテンの添付文書には、副作用として以下のものが挙げられている。悪性症候群、精神錯乱、幻覚、せん妄。さらに、興奮、神経過敏、気分高 揚、多幸症、見当識障害、眠気、運動失調、眩暈、頭痛、倦怠感など、抗精神病薬に勝るとも劣らない。

ケイジさんもアーテンを中止したことで、いくつかの症状は消えた。しかし、ジストニアの状態は相変わらずである。ケイジさんはときどき、「こんな首になって、もう僕は結婚もできなくないんだね。死んでしまいたい」そんなことを漏らすようになったという。

精神科へは、同じ千葉大病院精神科に通院が続いた。

そこではセロクエルが処方されたが、少量処方(1錠)で、体調・精神状態は安定してきた。父親と定期的に散歩をし、休日には一緒に買い物にも出かけ、ケイジさんはCDを買ったりした。父親から見ても「首が元にもどれば、普通の青年」だった。

しかし、外を歩けば人が振り返り、あからさまな視線にさらされることもあった。それでも、ケイジさんは、首にカラーを装着するジストニア改善策には頑として応じようとしなかった。そして、この年の年末、ケイジさんは友人に年賀状を出した。

そうしたケイジさんの様子を知った医師は、「統合失調症ではないかもしれない」と言ったという。

医師のその言葉があったからか、その後、ケイジさんは薬を飲むのを嫌がるようになった。通院も拒否したため、父親が病院に足を運び、経過報告をしていた。

結局、セロクエルを断薬。そして、3年間ほど、薬ゼロの時期があったが、少しずつ少しずつ状態が崩れてきて、徘徊、失禁、住んでいる社宅の管理室に入り浸る、そして暴力が出てくるようになってしまった。

2005年、千葉大病院に再入院。ここでもまた拘束が行われ、点滴での薬の投与が始まった。

しかし、一向に改善しない、それどころか、暴力が治まらない……。医師が提案したのは、「電気ショック療法」である。「おとなしくなるから」というのが理由だった。

仕方なく承諾した。

2005年10月17日、第1回目の電気ショック治療。その後、数日おきに実施され、6回、1クールを終了した。

その頃のことをお父さんが日記に付けていたので、引用する。

「(医師の見解として)返答の中には意味不明も散見されるが、以前と比較して会話がスムース。また、幻聴が少なくなったと本人が言っている。電気治療の効果は認められる。今後、拘束を解く予定である。明日、今後の治療について打ち合わせ」

ということで、担当医は電気ショック治療の継続を勧めてきた。結局、11月21日に電気ショック治療の2クール目が開始され、6回で、第2クールが終了。

「担当医より電話にて、会話が以前より積極的になり、効果が認められるので、さらに電気ショック治療をお勧めしますとのこと。」

医師の強い勧めで、ケイジさンはその後、追加で一度だけ電気ショック治療を受けたが、家族からみて改善がほとんど見られないため、2回目以降、中断をお願いした。

そのとき、母親が拘束が長期にわたっているので改善を要求したが――、

「ケイジさんの現状では、看護師への予測不可能な暴力行為が考えられ、また看護師不足により拘束帯を使用しなければならない」という説明があった。

その後、千葉大病院でも、ケイジさんを持てあますようになった。手におえない、面倒見きれない……。ケイジさんは退院となり、薬の処方も行われなかった。

お姉さんが言う。

「結果的に、どんどんおかしくなりました。36時間、このテーブルの椅子に座り続けていたり、話もほとんど通じなくなっていました」

何を言っているのかわからない、認知機能も落ちてしまった。ついには、自力での排泄も困難になった。

そして、2011年3月11日の東日本大震災が起き、そのことでケイジさんの状態はさらに悪化した。攻撃性が増し、家の中で暴れることもしばしばだった。

実際、家にお邪魔したとき、目に入ったのは、そうした暴行の痕である。冷蔵庫の扉は歪み、食器棚の脇の板には殴った拳の痕がいくつも残っていた。

そして、ケイジさんの攻撃性はついに父親に及んだ。顔の骨が陥没するほどのケガだった。結局、警察に相談をして、ケイジさんは措置入院となった。警察が やってきて、病院へ連れて行く際の、ケイジさんの抵抗はものすごかったという。精神科病院でのこれまでの経験から、入院に対する恐怖心があったのか、それ とも、その後自分に起きる運命がわかっていたのか……。

 

石郷岡病院には2011年9月15日に入院となった。最初は保護室で、次に閉鎖病棟の4人部屋、そしてまた保護室へと移動させられ、その間ケイジさんはほとんど拘束された状態だった。
これまでどこの病院で相談をしても統合失調症だと決めつけられてきたが、じつは、この石郷岡病院の担当医だけは、入院前もケイジさんの家族の話を熱心に聞 いてくれて、ケイジさんを「統合失調症ではなく、広汎性発達障害」と診断見直しをしてくれた医師だった。さらに「統合失調症ではないのに統合失調症の薬を 投与されると統合失調症のような症状が出る」と認めてもいた。

しかし、職員による暴行が、翌年の1月1日に起きてしまった。

頸椎骨折、そして病院側の不誠実な対応……。

さらにケイジさんが不幸だったのは、搬送された帝京大学附属ちば総合医療センターで頸椎骨折の治療のあと、療養のために入院した病院の対応のひどさである。

そこではケイジさんの精神的な状態は回復傾向にあった。会話も成立していたし、新聞記事などを読み、その内容も理解し、記憶していて、父親とそれらを話題にすることもあった。

しかし、病院の「介護」の仕方は、たとえば、誤嚥性肺炎が心配だからと、誤嚥性肺炎になったこともないのに勝手に「胃ろう」にしてしまう。さらに、食事 の貧しさ。1日の摂取カロリーが900~1200キロカロリー(前の帝京大学付属ちば総合医療センターでは若いからということで、倍の2400キロカロ リー以上だった)。

結果、ケイジさんはどんどん痩せていった。入院していた2年間で、体重は15キロ減少。身長180センチ弱なのに、体重は33キロほどになってしまった。

死亡原因として、最初にお姉さんが医師から口頭で伝えられたのは「低栄養」である。つまり栄養失調。療養型病院の対応のひどさもまた、かなりの問題を含んでいる。

お姉さんが「弟は3度殺された」とブログで表現しているが、まさにそのとおりだ。1度目は、抗精神病薬の多剤大量処方によって。2度目は、石郷岡病院での傷害事件。そして3度目は、この病院で栄養失調にさせられたこと……。

なんという「医療」なのかと思う。

 

 

保護室内で、看護師による暴行を受け、頸椎骨折をして首から下が麻痺してしまった。暴行が起きたのは2012年1月1日午後4時頃のこと。

この件に関しては現在も裁判が続いている。しかし、事件後、ケイジさん(被害男性・仮名)は頸椎骨折治療のため県内の大学病院(帝京大学附属ちば総合医療センター)に入院し、さらに療養型の地元の病院に転院後、残念ながら、今年の4月28日、亡くなられた。

死因は、「低栄養」と「肺炎」――お姉さんが医師から口頭で伝えられたのはこの二つだが、死亡診断書には、「呼吸不全」とあり、備考欄に「頚椎骨折」と書いてあった。享年36歳。

 

そもそも、密室である保護室で行われた暴行がなぜ明るみに出ることになったのか。

それは、保護室内に取り付けられた防犯カメラの映像があったからである。

私もその映像を見せてもらった。部屋を真上から撮っている。横たわるケイジさん、おむつかえのために部屋に入ってくる准看護師(男性)2人。

おむつかえに手間取ったものの、ようやく終え、ズボンをはかせようとしている段階で、 一人の職員がケイジさんの胸から下に覆いかぶさり、膝で腹部を押 さえつけた。ケイジさんが苦しそうに手を動かすと、その職員が払いのける。ケイジさんはもがくように足をばたつかせ、その足がもう一方の職員に当たった。 すると職員は突然立ち上がり、まずケイジさんの頭部側面を足で蹴りつけ、次に頭頂部を蹴りつけた。この時、監視カメラの映像は、ケイジさんの髪が乱れるの を捉えていた。次にその職員は、ケイジさんの顔面を踏みつけた。

その後、もう一人の職員が、ケイジさんの背後に回りこみ、蹴った職員はケイジさんの股を無理やり開かせ、足首を足で踏みつけながらズボンをはかせたのだ。 その後、顔面を蹴りつけた職員は、もう一度ケイジさんの大腿部に蹴りを入れた。おそらく蹴ったために出血したのだろう、職員はタオルでケイジさんの顔面を 拭っている。

そして、映像は、仕事を終えた准看護師たちが部屋を出ていく場面を映すが――布団をかけてやるわけでもなく、やることをやり終えたらさっさと出て行くといった感じ。そして、出口近くで、一人の准看護師が足元にあった枕を横たわるケイジさんの方へ投げつける。

映像は淡々とケイジさんの姿を映し続ける。

そして、10数時間後の1月2日。仰向けに横たわるケイジさんの下半身がまったく動いていない。巻き戻してみると、もう数時間も同じ角度に両足を開いた まま、微動だにしていないのが見て取れる。その間に職員は食事やおむつかえにケイジさんを見ているにもかかわらずだ。そして、ケイジさんは1月3日になっ てから、帝京大学付属ちば総合医療センターに救急搬送された。そのとき、自発呼吸もない状態だった。
 

そもそも、ケイジさんが精神医療に関わることになったのは、大学生のとき。それまではごく普通の青年だった。テニスサークルに所属し、合宿に行ったり、アルバイトをしたり、ギター(ベース)に夢中になったり……。

「お友だちがお葬式に来てくれて、初めてわかったのですが、ケイジは、家での様子とは違い、けっこう活動的で、仲間内でも中心的な存在だったみたいです」とお姉さんは言う。

学生時代は、通学の便のため、自宅を離れて一人暮らしをしていた。大学1年の頃は、とても元気にやっているように見えた。

ところが、大学2年生の夏休み、帰省したときのことだ。ケイジさんは突然「学校をやめたい」ともらしたという。ベースに夢中になっていて、学業よりバンド活動に力を入れたいから、とそんな理由を口にしていた。

そして、お正月休みに帰ってきたときには、なんとなく元気がないように見えた。

学年が変わり、アパートを引っ越してから様子が少しおかしくなった。暗い声で電話がかかってくる。気になった両親がケイジさんのアパートを訪ねたところ、かなり痩せていた。心配になり、両親は自宅にケイジさんを連れて帰った。

しかし、状態は改善せず、ケイジさんは休学届を出し自宅療養していたが、結局留年となってしまった。そのことでケイジさんは自分を責めるような気持ちになったのかもしれない。また、お姉さんが聞いた話では、交友関係での悩みを抱えているようだった。

それでも自宅に戻って少しずつ元気を取り戻していたケイジさん。アルバイトができるまで回復したため、復学した。しかし、自宅から大学まで片道4時間かか る。この長距離通学が再びケイジさんの精神的疲労を招き、結局、両親に相談することもなく、退学届を出してしまったのだ。その直後から、うつ状態になっ た。
2001年の9月(23歳のとき)、ケイジさんは近くの精神科病院を受診した。そして、うつ病と診断され、抗うつ薬パキシル(10㎎、1日1錠)が処方されたのだ。

パキシルを服薬ししばらくした頃から、ケイジさんに変化が現れた。家族に対して暴言を吐いたり、些細なことでイラついて、特に妹と衝突することが多くなった。

そして、服薬2か月ほど経った11月30日。向かいの家が引っ越しをしていて、その音がうるさいと、ケイジさんは引っ越し作業をしていた男性をいきなり殴りつけてしまったのだ。ケガはたいしたことはなかったが、ケイジさんは自ら警察に出頭した。

自分は学校にも行かず、人を殴ってしまい、悪い人間だから、警察へ行かなければならない。自分を責めるような言葉をずっと口にしていた。父親が付き添ったが、殴られた男性は被害届を出さす、結局この件は示談でけりがついた。

警察からの帰り道、父親が「なぜこんなことをしたんだ」と尋ねると、ケイジさんは「淋しかったんだ」と答えたという。

父親としては、このようなことをしでかしたので、一応かかりつけの病院に行ったほうがいいと考え、ケイジさんたちは「市原鶴岡病院」(パキシルを処方した病院)に立ち寄った。

ところで、2001年といえば、SSRIが日本に入ってきたばかりの頃だ(パキシルは2000年日本発売)。当時、SSRIは「まったく副作用もなく、極 めて安全な薬」、「魔法の薬」としてもてはやされ、副作用であるアクチベーションシンドローム(賦活症候群)が騒がれることもなく、医師は競ってこの薬を 処方していた、そんな時期である。

したがって、市原鶴岡病院の担当医も、ケイジさんの暴力、攻撃性の原因がパキシルの副作用である可能性を疑うことはなかったのだろう(今でも見抜けない医者がたくさんいるが)。
少し回復したところで、ケイジさんは父親と散歩に出た。ところが、途中で突然からだがエビ反りになり、ひきつけを起こした。チアノーゼもでている。あわて て救急車を呼び、地元の病院に運ばれたが(じつはこの病院は、頸椎骨折後のケイジさんが療養のため入院し、亡くなる病院である)、あまりに対応が悪いので すぐに転院を希望して、市原鶴岡病院へ入院することにした。そこで出された薬によって出てきた副作用であるから、責任をとってほしいという思いもあった。

 

 

まず救急搬送の一報を聞いてすぐにT大付属病院へ駆けつけた両親は何がなんだかわからず憔悴しきった様子で
担架に固定されぐったりしている弟を見て動揺していました。
私と夫、両親と救急外来の待合室で待機していました。まだ何も情報がない時です。

母「ねぇ、顔面の片側に大きな痣があるんだけど…しかも麻痺ってどういうこと?」
父「紹介状には自傷行為をして云々書いてあるそうだけど…」
私「でも自傷行為であんなになるかね?何か怪しくない?」
母「知らないわよ!I病院が何度も自傷行為をしてたって言うのよ」

因みにそれまで自傷行為(自殺企図等)はなかった。

両親とも突然のことで動揺し、兎に角今どんな状態なのか医師に聞きたいそぶりでしたが
医師も検査などで忙しく、数時間、待合室で待機。
私は子供のことが心配なので一旦帰宅。

夕刻母親から「大変よ。検査の結果、首の骨が折れて首から下が動かないんだって!HCUに入院だって。」と非常に憔悴した様子で電話があり。

自傷行為で自分の首の骨(頚椎)を折れるんかいな?それに、おむつ替えで暴れて顔にあんな痣ができるもんなのか?
しかも打撲を擦過傷(擦り傷)と紹介状に書かれているなんて、怪しいぞと私は思った。

当時T大病院で見せていただいた、搬送元のI病院からの紹介状には

自傷行為をし、本人が抵抗しおむつ替えの時に顔面に擦過傷というような内容が記載されていました。

救急搬送当日に看護師である従姉妹も駆けつけてくれて、ひと目見て「擦過傷じゃないよ打撲じゃん」と。
知り合いの医師何人かに画像(救急搬送後2日経過しているが撮影)を見せたら「擦過傷じゃなくて打撲だよ、医師なら見ればすぐにわかること」と(うち2人はC大医学部出身の方ですが)

読売新聞の1/23の医療ルネサンスに記事と白黒画像が掲載されていますが、ここに私の撮影したカラー画像を掲載いたします。目にはぼかし入れてます。
掲載することには正直躊躇しましたが、ありのままを知っていただきたいので私にとっては正視に耐えないですが思い切って掲載いたします。

本当にショックです。昔の、健康だった頃の写真も(大学時代や高校時代)機会があったら掲載するかもしれません。人って脳を変えられてしまうと顔つきも何もかもが全く別人のようになってしまうんですよ。。。健康だった頃の弟の面影はもはやありません。

これが救急搬送から2日めの画像です。痣が消えつつあります。打撲がいつ発生したかはわかりません。救急搬送後にT大病院のほうでも画像を撮影したそうです(が、非公表)

骨折

 

第二頚椎がパックリと骨折しています(赤い矢印の部分・当方が記入)
I病院は、暴力行為を否定、骨折に繋がるようなことはしていないと言っているようですが、では何故こんなにパックリと骨折するんでしょうね。
頚椎というのは重い頭を支えているし、結構な衝撃にも耐えうるほど頑丈だそうで、そうそう折れないそうです。
ではI病院の見解とは一体何でしょう。自傷行為も確認されなかったわけですから、自然に骨折したとでも言うのでしょうか。。。
全くもって不可解な言い分です。

 

 

1/4

いよいよおかしいと思った私は一体どういうことなのか、事件が起きた直後に色々改ざん済みだろうが、
まずI病院に事情を説明してもらうため翌日の1/4昼過ぎに両親と私とでI病院へ行こうとした矢先
父の携帯にT大病院から「息子さんが心肺停止になり、現在懸命に蘇生をしています。すぐに病院へ来てください」という電話が。
半ばパニック状態で駆けつけてみると、ICUのすぐ近くの部屋へ通された。
すぐに担当の整形外科医と救急救命医がやってきて事情の説明がありました。

救急救命医「MRI撮影が終わってHCUに戻った直後に急変し、10分間程度心肺停止状態になりましたが、運良く麻酔医や複数の医師がHCUにいたので数 人がかりで懸命に蘇生術を施し、現在は気道切開をし呼吸は確保しました。良くないながらも容体は安定していますので今直ぐ呼吸停止になることはないです。 ただ、このようなことが二度とないとは限らないので、その際は蘇生するかしないか、ご家族の方で相談してください」

整形外科医(担当医)「昨日の段階では、いずれ車椅子に座れる程度に回復して欲しいからプレートを入れる手術をしようかなんて考えていたんだけど、これ じゃあできないね。MRIさっき撮影して結果見たんだけども第二頚椎がぱっくりやられちゃってて…ここってあらゆる神経が通ってるから予想より酷い状態な んだよね」

私「先生。紹介状に自傷行為ってありますけど、自傷行為で頚椎骨折なんてありえるんですか?しかも保護室で」

整形外科医「いや~、自傷行為といってもどんなことかわからないから何とも言えないけど、自分で壁に頭を打ち付けるとか程度では、こんなにパックリとはいかないよね普通。この骨折の仕方は余程強い力が額(顔面)方向から加わらないと、こんな折れ方はしないよね」

私「それでI病院に不信感があるので事情を聞きに行きます。本当に自傷行為があるなら保護室の監視ビデオに写っているはずだし、打撲傷を擦過傷って書いてる時点でおかしいと思うので」

整形外科医「あまり事を荒立てるのはよくないんじゃないかな。ただ…個人的な意見として言わせてもらえば、もし暴力等でこんなことが本当にあったのだとし たら許せない行為だよね。ご家族の心情もあるから、あまり事を荒立てるのも良くないけど、納得しなきゃ意味が無いんだから行ってきなさい」

そういう会話を交わし念のため父を病院へ残し私の運転で母とI病院へ向かった。

1/4 I病院

職員室のような部屋へ通されると、院長がすでに保護室のビデオを見ていて、私達もそれを見た。
4倍速の早送り状態で不鮮明な部分もあり見辛かった(後ほど証拠保全を行ないビデオを確保し、弁護士側がもっと鮮明に処理したものを佐藤記者へお見せしました)
院長が説明しながらビデオを見ていく(自らビデオを見せるなんて、やましいことがないという自信があるのか。いずれにしても考えてみればおかしい気もする)
周りには職員が数人いてこちらの挙動を窺っている。

院長「はい、ここの場面でおむつ替えの時に擦過傷ができたんです」
私「…」(母は事を荒立てたくないのか、私になるべく相手を刺激するような発言はしてほしくないとのことで黙っていた。また何か言おうとすると制止されたことも)
擦過傷じゃないでしょ、打撲でしょ、殴ったんじゃないんですか?と聞くのを堪えていた。

淡々と動画が流れていく。
院長も黙り込んだ。動画を見ている中、私は職員の不審な行動に気がついた。

私「すみません!今の所もう一度巻き戻してください!!」
母は何言ってんの??というような半ば迷惑そうな目で戸惑いつつも、この発言は制止しなかった。
動画の再生をしていた職員もオドオドしていた。

職員が動画を巻き戻す。やっぱり不審な行動。どう見ても職員が弟の頭の上をまたいで踏みつけているようにしか見えない。

※詳しくは読売新聞のヨミドクター 佐藤記者の精神医療ルネサンス
めちゃくちゃにされた人生(4) 「暴行」ビデオを見たを御覧ください。

私「これ、やって(暴行)ますね?」
院長「…」
私「誰ですか、この人物は!」
院長「職員のSです」
周りの職員の表情も凍り付く。

やっぱりな。これは暴行事件だ。そして病院側の主張する自傷行為とやらは全く見受けられない。
母「自傷行為と仰いますけど…」
院長「職員からそういう報告を受けていますので」
動画に自傷行為が記録されていないにもかかわらず自傷行為と何度も言う院長・病院側とこれ以上話す意味もない。
※後日、読売新聞の佐藤記者の取材では自傷行為はなかったと説明を変えたが。

院長のM医師は弟の担当医だった。今までどこの病院で相談しても統合失調症だと決めつけられてきたのだったが
このM医師だけは入院前まで色々話を聞いてくれて、統合失調症ではないという診断を下した医師だった。
統合失調症ではないのに統合失調症の薬を投与されると統合失調症のような症状が出るとも認めていたと思う。
それだけに今回の対応は裏切られた思いがした。
M院長は心なしか落ち込んでみえた。
これはM医師が自ら招いた医療事故や医療過誤ではなく職員が起こしたことだ(病院としての責任、使用者管理責任等はあるだろうが)
確かに雇われ院長で、病院という組織を守らねばいけない、またそこで働く職員を守らねばならないという気持ちはわかる。
しかし、実際にこういう事件が起こり、私達家族もまた、弟を守らねばならないんですよ。

私はこれ以上話しても無駄だと思い、母に病院へ戻ろうと言った。
そして母をT大病院へ送ってから帰路についた。

取り敢えず暴行行為を確認できただけでも収穫はあった。
カルテ等は改ざんしているだろうが、問題はビデオだ。その場で撮影できればよかったが慌てていてミスした。
しかし後日の証拠保全で確保できたので一応証拠は残っている。
これ以上両親だけに任せるには限界があると思った。

翌日、警察に相談という形で電話をしたらすぐに動いたらしく、その日のうちに資料、ビデオの任意提出を受けたという。
同時にI病院を管轄する市の精神保健福祉課に調査依頼をした。
また、医師やその紹介の議員、その紹介の弁護士や新聞記者に連絡を取ることになった。

数日後、警察のほうから電話があり「確かに病院側の主張する自傷行為は確認できませんでした。また職員が何かやっているのも我々は確認できました。ただ、これはすぐにどうこうなる事件ではありません。時間がかかるので」という電話が来た。

市の精神保健福祉課は「立ち入り調査をしビデオを病院で見ました。ただ不鮮明で…しかし確かに不必要な行動(かなり言葉を選んで話していた)を我々も確認はしたので注意指導という形で病院側へは伝えてあります。この話は副市長まで上げてあります。
ただ行政処分などは、実は我々も警察の捜査結果や裁判結果を待っている状態なんです。そこで有罪と認定されれば処分の検討に入ります。私達も全国で起きた 精神病院での暴力事件について色々勉強しています。精神科病院では実に色々な暴力事件があってですね、ついこの前も◯◯県でもあったんですが、そういった 場合の他自治体の処分なども踏まえて行うつもりです」ということです。
 

 

◆弟さんが振り返る

まず初めにお断りをしておきますが、このブログ、内容は私個人の独断で書いています。両親は無関係です。
両親と私とは、考え方に違う部分もありますし、視点も違うかもしれないし(と言うか違うと思う。両親とはよく衝突していたし、それが嫌で速攻で家を飛び出したので・爆)、父がこの件で交流している方々やお世話になっている会の方とも殆ど面識はおろか、交流もありません…
従って記事の内容、考え方も私個人の主観です

 

 

小中学校では結構活発でスポーツも万能でしたね。
小学校の時はリレーにも出場していたし(紅白対抗や地区対抗リレー)サッカー部に所属、またスポーツテストでは優秀賞を受賞していました。
中学校では卓球部に3年間所属。小学校~中学校は幼馴染もいて、わいわいと遊んでいたし、何人かとは大学に入学後も交流があったようです(友人とは地元でギターを弾いたり)
高校は県立の一応進学校と言われる高校に入学。記事では「ネクラ君」というくだりがありますが、それは友人から届いた年賀状に「ネクラ君w」みたいな感じ で書いてあったためです。なので皆にそのように呼ばれていたかは不明。孤立とかしていたら、そもそも年賀状なんて届かないと思いますけど。
一浪してH大学社会学部に入学。
因みに…本人の希望のW大学は駿台模試でA判定(ある教科では全国1位)だったのが不合格で、他に合格した複数の大学(A大、S大、M大など)の中から適当?にH大を選んだ模様(いずれもマスコミ関連の学部)

始め神奈川のS市のアパートで一人暮らし。その時に私が遊びに行った時は様子に変わりはなく弟の家(いえ)電の留守電を聞くと数人の声で「お~い、麻雀やるぞ~、来いよ」というノリのいい調子の内容が録音されていた。
また夏休みには我が家へギターを抱えて遊びに来て大学のサークルの話や音楽の話などをした。余談だけど、私も以前バンドをやっていて弟にベースを貸したまま行方不明なんですけどね(苦笑)

あとは付き合っている彼女の話をちょこっと。サークルはテニス。私とカラオケにも一緒に行った。
その頃カラオケ店やKFCでバイトをしていた。

☆精神科受診直前

学年が変わり東京都のH市に引っ越してから様子がおかしくなり(実家に暗い様子の電話がかかってきた)不穏な空気を察知した両親が弟のアパートへ行くと
あまり食べていないためか痩せた弟(身長は179cm 体重は普段58kgくらい)
ノイローゼかと思った両親は一旦弟を実家へ連れてくる。
因みに後日、弟が精神科へ受診する直前に私に語ったところによると、サークルのコンパでお金がかかりバイトもしているが仕送りが少なめでやっていけないか ら友人からお金を借りたが返せないことを悩んでいたそうだ(金額的には1~2万程度だが)それと付き合っていた彼女と別れたのだが、別れる際、何度も「死 ね、死ねお前なんか死ね」という電話がかなりの期間、深夜問わず連日のようにかかってきて精神的に参ったということだった。

休学して自宅療養ということになったのだが、そのことが原因で家庭内でゴタゴタし(この部分は両親も関わってくるので残念ですが詳細に書くことができません)
妹や両親との諍いも増え、姉の私から見ると、弟は実家に居づらかったのだと思う。
両親に心配をかけさせ、休学と言えど少なくはない学費を両親に払わせ、更に休学で留年することになり、自分が邪魔者なんじゃないか、という考えを持ってし まったんだと思う。もしかしたら、休学ではなく両親には「もう退学してもいいよ、人生いくらでもやり直せるよ」という言葉が欲しかったのかもしれない。
私からしたら甘えてるなぁ、精神的に弱いな~とも思ってしまうけど、人間誰もが精神的に強いわけではなので、ここら辺の個人的意見は割愛しておきます。
野生動物とは違い、弱い部分があるから人間なのかなぁとも思いますしね。感受性もあり、喜怒哀楽があるのが人間ですから(動物にもあるでしょうけど。いや生き物にはみなあるのかも??)
動物の場合は弱る・衰弱する=死を意味しますからね…

上記に加え、友人にお金を借りたまま返済していないという罪悪感、元彼女に死ね死ねと連日言われたら、大抵の人間は自信をなくしたり、何らかの心理的ダメージを受けるのではないかなぁ。

複合的な要因で落ち込んだのではと思う。それから心配になった両親が精神科を受診させた。
因みに何故T病院を選んだかというと、児童へのカウンセリングをやっていたり、当時病院・病棟をリニューアル+新しい病棟を増築中、綺麗で、暗い精神科病院というイメージがなかったため。
それが結果命取りになったわけですが。。。
人は見た目、表面から見てもその内面はわからない(或いは表のイメージとは一致しない)というのと、ある意味同義みたいだなと思う…

H13・9/27~11/29(T病院・精神科)

診断名:鬱病

処方:パキシル10mg×1錠/day

鬱病でしょうとの診断でパキシル10mg 1日1錠を処方される。

パキシルを服用し始めてから諍いの回数が増える。それがパキシルのせいか否かは別として。
妹とは特に諍いの毎日で、具体的には「お兄ちゃんは学校にも行かずプラプラしているだけじゃん」と妹に言われ
弟も「お前だってフリーターで就職もせずいい加減じゃないか」(妹は現在就職していますが当時は専門学校を卒業後フリーターだった時期がありました)
それでつかみ合いの喧嘩寸前になったり(以前はそのようなことはなかった)
また両親に対し「俺は悪い人間だ。俺を警察に連れて行ってくれ、逮捕してもらいたい」
という言動をするようになった。自分が自宅にいることでトラブルが増えたことや、友人にお金を返し損ねたまま大学を遠ざかったことなどで色々追い詰められたうえでの言動のように思う。
また、両親に対し突っかかっていく回数も増えた。母親を突き飛ばしたり、父親に脅しのように殴る真似をしてみたり。
驚いて動けずにいる父に「ふん、情けない。それでも父親か?こうなったのはお前らのせいだ。俺はあんたを父親とは認めない」などの暴言を吐くようになった。
勿論、元々暴力的ではなかった。自分の思いや心情を理解してくれない両親に対しての苛立ち、やり場のない怒りや絶望感、また上手くいかないことを他者のせいにすることで心理的な圧迫感から逃れようとしていたのかもしれないと私は思う。
前後して、H市まで4時間近くかけ大学に通いだす。
無理がたたったためか、また思いつめたのか、両親に相談もせず勝手に大学に退学届けを提出した。

☆H13・11/30事件を起こす

当時、両親は社宅に住んでいたのだが、隣家が引越しをしてきた際、引越しの音が煩いと引越し業者の人を殴り弟自ら警察に通報した。
そして警察が来ると「僕が殴りました。逮捕してください」と自ら両手を差し出した。
両親が、被害を受けた引越し業者の方に事情を説明すると、引越し業者の方が「まだ将来のある若い方ですし、被害届も出しません」と仰ってくださり
示談ということで刑事事件化はしませんでしたが、警察からは一応暴力事件を起こしたのだから早急に病院へ行って診察を受けて欲しいと言われ、夕刻、T病院へ向かった。

診断名:統合失調症

処方:リスパダール2mg×2錠を朝夕1回/day(1日でリスパダール8mg)…資料には2錠(あるいは2回服用)を2Tと記載してありますが、意味の分からない方もいらっしゃると思いますので◯錠×◯/day(1日の服用量)と記載します。

事件を起こした夕刻、医師の診察で統合失調症と診断された。
医師は「う~ん、やっぱり鬱病かなぁ?不安神経症かなぁ?わかんないなぁ~。でも他人を殴る=暴力的ってことは統合失調症かも」
ということで統合失調症と診断された。因みにこの時点で幻覚・幻聴などはなかったし、少なくともその事件直前の私との会話の中で「こいつ、おかしいぞ?」 と思わせるような部分は特になかった(例えば理論的に破綻した会話だとか、支離滅裂な内容などではなく至って普通。自分はこう思うのに両親はこう言う。理 解してくれない。姉ちゃんはおかしいと思わない?などの内容。特に何とか妄想的な部分も見受けられず)

因みに処方された時点で医師からは何の薬なのか等、説明は一切なし(当然、副作用等の説明もなし。後日院長に情報開示を要求して統合失調症の薬と判明)

リスパダール処方1日目…初めての服用。服用した直後首がガクンとうなだれて意識が飛んで朦朧状態。慌てて病院へ電話するも、そのまま横にして寝かせてくださいとだけ指示される。

リスパダール処方2日目…やはり服用した直後、前日と同じ状態+チアノーゼが出る。またも心配した親が病院へ問い合わせるも大量の水を飲ませてくださいとだけの指示をされる。

リスパダール処方3日目…服用後状況は相変わらず意識朦朧、首、体幹ともに傾斜、意識朦朧。少し回復したあと父と散歩に行くも、その 途中に突然身体がひきつけを起こし、身体はエビのように反り返り、口からは少し泡を吹き悶え苦しみだしたため、救急車を呼び救急搬送。これって所謂、悪性 症候群ではないのか??(1日目から)

そのまま搬送先のT病院へ入院することになった。
以下、入院中の処方です

入院H13・12/3~12/5(T病院・精神科)
プロピタン50mg×2、アキネトン1mg×2/day

入院H13・12/6~12/7(T病院・精神科)
プロピタン50mg×3、ウインタミン25mg×3、アキネトン1mg×3、ベンザリン5mg×1/day

入院H13・12/8~1/3(T病院・精神科)
プロピタン50mg×4、メレリル50mg×4、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3、ベンザリン5mg×1、ヒルナミン25mg×1/day

入院~1/3までは個室(鍵のついた)ではあったが、会話も普通、身の回りのこともきちんとでき(きれい好き)両親の差し入れていた本(マンガや文庫本)を読んで
両親から見ると穏やかそうに見えた。ほぼ毎日面会へ行った。
そろそろ相部屋へ移動できるか、状態も良さそうだからまたは退院も近いかもね、と思ったそうだ。

1/4~突然の拘束

弟の状態が良くなってきたと思い、正月明けに面会に行った両親は驚くべき光景を目の当たりにしたのだった。
今までは静かに雑談をしたり本を読んでいた息子が次に面会に行ってみると突然肢体拘束され、目の焦点も合わず真上を向き、傍から見たら意識もあるのかどうかもわからないような、うつろな表情でベッドに縛り付けられていたからだ。勿論会話もできない状態。
病院側からは詳しい説明はなく、ただ「ベッドの端で逆立ちをしていたから、このままだと自殺する懸念があるため」という説明のみだった。
この真偽もはっきり言って不明です。病院側が詳しい説明をしてくれないから。この頃から両親はT病院へ対し不信感を募らせていった。
この後約3週間に渡り拘束。

偶然だろうが、今回の首の骨折事件も正月に起こったんですよね~…

※拘束中はずっと同じような状態。両親が拘束を解いてくれとお願いしても却下。
理由はまだ自殺したいような不穏な言動があるためと病院側からの説明。
両親が面会に来ても、拘束状態で病室の天井をうつろな表情で、会話もできず意識があるのかないのかさえもわからない状態なのに
どうやったら自殺しそうな言動をとれると言うのだろうか。疑問だ。

拘束中の投薬・1/4~1/6
プロピタン50mg×3、メレリル50mg×3、ジプレキサ5mg×1(後ほど血液検査で異常値となったため途中で中止)セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3、ベンザリン5mg×1/day

拘束中の投薬・1/7~1/14
プロピタン50mg×2、メレリル50mg×2、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3/day

拘束中の投薬・1/15~1/16
ウインタミン25mg×4、セロクエル25mg×3、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3/day

拘束中の投薬・1/17~1/20
ウインタミン25mg×4、セロクエル25mg×6、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3、ベンザリン5mg×1/day

拘束中の投薬・1/20~1/28
セロクエル100mg×3、ウインタミン25mg×3、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3/day

※この頃からジストニア(首の斜頸が始まる)拘束解かれる

投薬・H14・1/29~2/3
セロクエル100mg×4、ウインタミン25mg×3、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3/day

投薬・H14・2/4~2/8
セロクエル100mg×6、ウインタミン25mg×3、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3/day

投薬・H14・2/9~2/27
セロクエル100mg×4、ウインタミン25mg×3、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3/day
※この期間は原因不明の発熱のためセロクエルを減薬

投薬・H14・2/28~3/8
セロクエル100mg×4、レボトミン5mg×3、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3、ウインタミン25mg×3、ベンザリン5mg×1/day

投薬・H14・3/9~3/24
セロクエル100mg×2、セルシン5mg×3、アキネトン1mg×3、ベンザリン5mg×1/day
※この頃院長より暗に退院してくれ、というような話がでるようになる。
またジストニアが酷くなってからは担当医であった院長は流石にやばいと思ったのか、両親を避けるかのように居留守?両親の前に姿を現さなくなった。
ジストニア治療のため転院することになり、国立C大附属病院のベッドの空き待ち。

投薬・H14・3/25~4/1
セロクエル100mg×2、グラマリール25mg×3、アーテン2mg×6、セルシン5mg×3、ベンザリン5mg×1/day

投薬・H14・4/2~5/15
セロクエル100mg×2、グラマリール50mg×3、アーテン2mg×6、セルシン5mg×3、ベンザリン5mg×1/day

投薬・H14・5/16~5/30
ルーラン4mg×1、セルシン5mg×3、アーテン2mg×6/day

5/30国立C大付属病院へジストニア治療のため転院した(C大付属病院では開放室)
今まで入院していたT病院、前日に別の若い医師が「退院時は僕もC大病院まで付き添いますから安心してくださいね」と優しく言ってくれたにも関わらず
退院当日はその医師はおろか、担当医である院長も姿を現さず。
入院当初からずっと弟を見守ってくださった職員の方の中には(時には院長に意見を言って、逆らうなと院長にボロカスに言われていた)弟の不憫を思い「かわいそうに」と泣いてしまう方もいらっしゃいました。
この頃すでに、顎が胸につくほど斜頸(ジストニア)し歩行もスロー。表情があまりなかった。

退院後、私は変わり果てた弟の姿を見て愕然とした。
入院直前までバイクで我が家に相談に来ていた弟が、退院してみたらベッドに横たわり首が曲がり顎が胸につき痩せ(推定50kg前後)
当然声も変わってしまい、話し方も変わってしまい顔つきも私の知っている弟ではなくなっていた。。。
よくなるために入院したはずが、こんなことになろうとは。

以前、入院前の会話は普通だと言ったけど例えばよく覚えている会話がある(内容は雑談)
弟がカップラーメンにお湯を注いでいたのだけど、お湯の量が多かったので

私「随分お湯入れるんだね~。お湯を入れすぎると味が変わっちゃうじゃん」
弟「いや、わざとお湯を多く入れて腹を満たしてるんだよ。金ないし。味が薄くなっても腹が満たされる方が重要だよ」
私「質より量ってわけか。何?そこまで金銭的にやばいの?」
弟「特に仕送りのお金がなくなってきてバイトの給料が振り込まれる前は下手すると1日1食の場合もあるよ」

あとは
弟「今度M(幼馴染)がギターやるっていうから、俺もギター安いのだけど買ったんだ。ベースもやってみたいから、ちょっと貸して」
私「いいよ。でもギター弾けるの??(笑)」
弟「いやだから今練習してるんだよ~。姉ちゃんとはジャンル違うし」因みに私は昔のエックス(japanになる前。taijiがいた頃)やラウドネス系でした。
私「どんな曲やるの?」
弟「DEEN(確か)とか。で、今聴いてるのはTUBEとかZARDとかたまに洋楽かな」
私「ああ、じゃあなんとか弾けるようになるかもね。頑張んなよ」

など至って普通の会話でした。

ところが退院後は
私「久しぶり。調子はどう?」
弟「…」
弟「(かすれる小さな声で)ちょっと…」(ジストニアで喉も圧迫され声が出にくい。多分呼吸も苦しい)

以後どんどん会話すらできなくなっていきました。というか、意味のある(通じる)会話を以降した記憶が無いです。

ここまでがジストニア治療前までの経緯の概要と投薬記録です

 

Leave a Reply

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>



こちらの関連記事もオススメ!