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2015年8月6日 at 4:10 AM

京都認知症母殺害心中未遂事件|自分を愛してくれた母親と息子の最期の自殺旅行の果てに

2006年2月1日未明、京都市伏見区の桂川の遊歩道で、区内の独身男性(当時54)が、認知症の母(86)の首を絞めて殺害、自身も死のうとしたが未遂に終わった事件について。

 

男性は高校卒業後、西陣織の糊置き職人であった父親の弟子になり働いた。しかし呉服産業の不況により、35歳の時に職人を辞め、ホテルの警備員や電気製品の製造工、システムキッ チンの組み立てなど仕事を転々とする。

1995年、父(享年80)を病気で亡くしてから、母親に認知症の気があらわれはじめる。

2001年、二人は伏見区のアパートに引っ越した。親類の好意で、家賃6万円のところを半額にしてもらい4畳半6畳間の部屋に住んだ。

 

2005/4 母親の認知症が悪化し、おにぎりを包み紙のまま食べたり、「狐じゃ!追い出せ!」と言って天井を叩いたりした。真夜中に外出しようとし たり、真っ暗な部屋で1人で座ってるなど、食事も作れなくなる。

昼間も夜も靴下を履いただけで、靴を履かずに徘徊する毎日。

 

 

男性の生活はすっかり昼夜逆転し、献身に介護するものの、2005/7には仕事を休職。

2005/9にリストラされ、派遣の仕事に就くも収入は激減した。

3時間置きにトイレに起きる母親。眠れないまま仕事に行く日が続いた。
 

男性「最初は介護が苦痛に感じましたが、置いていく母が忍びなくてできるだけ1人で面倒を見ようとしました」

 

 

ある日母親が国道沿いを徘徊しているところを保護。その事件が会社にばれて派遣の仕事も休職扱いとなり、そのまま解雇。収入はゼロとなる。

2005/12には失業保険の給付 もストップした。区役所には3度相談したが、何のアドバイスも得られなかった。「生活が持ち直せる間だけでも、生活保護を 受給できないか?」と相談したこともあったが、「あなたはまだ働けるから」と断られる。

 

 

被告ケアマネージャー

「在宅介護のアドバイスを得ようと区役所に相談している。デイサービスは9割国の負担だが、男性は1割でも払えない生活を送っていた。生活保護を頼んだが、規定では働ける世帯主が居ると受けられないと断られた。失業保険をやりくりし、仕事を見つけろと冷たい態度をとられた。でも本来は失業保険が切れた段階で、生活保護の受給資格があった」

 

母親には、「返せるあてのない金は借りたらあかん」と言われていたが生活のためにカードローンの借入も行った。

男性は母親を慈しんでおり、きちんとした生活をさせ小奇麗に身支度もさせていた。

しかし、支えてあげられない自分に責任があると、自分を責めた。

 

 

男性は再就職できず、食べるものもなくカードローンで食いつなぐ生活を続けた。

 

 

しかし、ある日突然母が1人で食べられるようになり、会話もできるようになった。

「ずっと一緒だよ・・・」

 

寝ている布団に入ってきたり、食事の支度をしていると這ってでも自分のところにやってきた。

母が可愛かった。そして抱いてあげると抱き返してきた。

 

 

母のために自分は外で食べてきたと嘘をつき、2日に1回の食事。しかしローンの借入は限度額に達し、自分が死ねば生活保護が受けられると思ったが、母を置いては死ねなかった。

2006/1/31、アパートの家賃3万円も払えず。手持ちの現金はわずか7000円ほど。男性は親族に相談することもなく、ここで二人で死を選ぶことにした。

まず自宅アパートをきれいに掃除をして、親族と大家宛てに遺書と印鑑を残した。
コンビニで買ってきたサンドイッチを仲良く食べて、リュックサックにロープ、出刃包丁、折りたたみナイフを詰め、車いすの母と2人アパートを出た。

2人は最期に悔いがないよう生きたい場所を巡った。母親が「人の多い賑やかなところにいきたいなぁ」と答えたので、三条の繁華街を歩いた。
鴨川のそばで時間をつぶし、やがてにぎやかな新京極通りをに向かった。この通りには昔親子3人で食事をしたそば屋があったが手持ちの金がなかったので、食事はしなかった。

車椅子

夜も更け、二人は伏見にいた。もう戻ることのできないアパートの近く、母親は「(死ぬなら)家の近くがええなぁ・・」と答えた。22:00のことだった。

2/1、男性は「もうお金もない。もう生きられへんのやで。これで終わりや・・」と泣きながら母親に語りかけた。

母は、「そうか、もうアカンか・・・死んでもお前といつまでも一緒やで、ほら・・・こっち来い。こっち来い」と答えた。
 
「お前はわしの子や。お前が自分で死ねないのならわしがやったる」

母の言葉に男性は「もうやらなければ」と意を決した。
母親の車いすの後ろにまわりタオルで母親の首を絞め、早く生から開放するために首をナイフで切った。

男性は母の遺体に毛布をかけた後、包丁と折りたたみナイフで自分の首、腕、腹を切りつけ、近くにあったクスノキの枝にロープをかけ首を吊ろうとするも失敗し た。

そして通行人によって朝8:00に発見された。
 

2006/4/19、京都地裁の初公判が開かれた。公判では地域の住民、関係者ら126人分の嘆願書が提出された。

2006/5/15の第2回公判では、弁護側ではなく検察側が証人として出廷した親類やケアマネージャーに「被告が将来社会復帰した時に見守っていく用意があるか?」と質問した。

2006/6/21の公判、「同じ様な事件が後を絶たないのは何故か?」という裁判官の問いに、男性は、
「今日、明日を生きるために立ち上がる機会と、考える時間、そしてお金を与えて下さい」
と答えた。

そして2006/7/21、東尾龍一裁判官は「結果は重大だが、被害者である母親は決して恨みを抱いておらず、被告が幸せな人生を歩んでいけることを望んでいると推察される」として、懲役2年6月、執行猶予3年を言い渡した。

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