芸能

2016年2月12日 at 5:42 PM

永遠の処女・原節子が愛した矢澤正雄さん

爆報・ザ・フライデー

 

 

原節子さんが2015/9/5に亡くなっていたことが2015/11/25に発覚した件。

 

その原さんが唯一愛した男性が、1937/4/1に唯一報道された鎌倉のY氏。原さんが芸能界を引退して鎌倉に一人で住んでいた理由も彼がいたからと考えられます。Y氏は結婚寸前で節子さんをふったといいます。

 

 

マッカーサー愛人説もありますが、芸能リポーターの須藤甚一郎氏によると、二人に面識はなく、マッカーサーが一方的に気に入っていただけだという。

原節子

 

Y氏とは、ベルリンオリンピック短距離選手である矢澤正雄さん。89歳で亡くなっています。

 

 

 



◆二人の出会いと別れの軌跡

 

原さんは1935年に15歳でデビューし、東京物語などに出演。

 

1963年に43歳で引退し、13万人の復帰署名運動が起こるものの、そのまま取材も完全シャットアウトし、未婚で鎌倉に移り住む

 

 

 

二人が出会ったのは1936年で、正雄21歳。節子16歳のとき。

オリンピックでドイツに取材に行ったときに、同伴につけられたのが正雄。

その後文通を重ね、銀座で初デートをする。

 

 

 

1941年太平洋戦争で、正雄は中国へ出征することになる。

このとき、節子を鎌倉の海岸に呼び出し、「生きて帰ってこれないので貴女を幸せに出来ない。別れてくれ」と切り出す。

 

 

正雄が中国へ向かった後も節子は手紙を送り続けた。毎月1通以上。

1943年、正雄は肩と足に怪我を負い帰還する。

 

 

これで二人は結婚できるかと思いきや、正雄が父親に結婚の話を切り出すと、立場が違うという理由で猛反対されてしまった。当時芸能関係への偏見はそれほど強かった。

そして正雄は父親がまとめた縁談の相手と結婚。ふられた節子は銀幕の女王として活躍するようになる。

 

 

 

◆原節子はどういう人だったのか?

岡田まりこさん。白負、女囚、秋日和などで共演。

 

 

「さっぱりしていて冗談好き。よく可愛がってもらった。自分がヘビースモーカーのくせに、女優ならたばこを吸わないほうがいいと叱られたことがある」

 

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